カレーの歴史 日本編2

明治時代に入ってから西洋料理文化が少しずつ根付くと同時に、カレーも国民食の一歩目を辿っていくことになります。

その大きな一歩目となったのが札幌農学校(現在の北海道大学)でライスカレーが頻繁に食べられるようになったことでしょう。「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク博士が来日し、これを発案したと言われています。クラークさんのおかげで私たちは美味しいカレーを日々食べることができているのかもしれません。

そして明治時代も中盤に差し掛かり、カレーが広く知れ渡っていきます。それを表しているのが当時の人気雑誌、『婦女雑誌』の中で「即席ライスカレー」の作り方が紹介されたことでしょう。
そこにはこう紹介されています。
【煎茶茶碗に一杯のバターと葱三、四本を細かに切りたるを深き鍋に入れ、強き火に懸け、葱の柔らになりたる時、煎茶茶碗に八分目程の粉を入れ、絶えず攪き廻しながら鳶色になるまで煎りつけて、煎茶茶碗に半杯のカレイ粉(西洋食糧店にあり)を入れ、かくて鰹節の煮汁(これは鰹節半本にご飯茶碗六杯の水にて前に拵へ置くべし)を少しづつ注ぎ入れながら攪き回し、醤油を適宜に加へ十分間程弱き火に懸け、味噌漉しにて漉し、其汁へ湯煮したる車鰕或は鳥肉を入れ、炊きたての御飯にかけて食すべし】
この頃はまだ玉ねぎではなく葱を使っているようですね。今度このレシピで作ってみようかな。

画像元:日本の古本屋

そして明治後半、日清戦争や日露戦争が起こります。そんな最中、日本カレー界で待望の瞬間が訪れます。それは国産カレー粉の販売が開始したのです。大阪の薬種問屋「今村弥」が、日本で初めて国産カレー粉を製造・販売を始めました。それが蜂カレーです。ハチ食品株式会社とし、今もなお続いている長寿企業です。国産カレー粉を生み出してくれたハチ食品さんには感謝ですね。いつか訪問したいものです。

画像元:ハチ食品

その頃、東京・早稲田ではの「三朝庵」でカレーうどん誕生。

そして数年後、カレー南蛮が誕生したのはまたしても大阪でした。この頃洋食が流行りだしたので、お蕎麦屋さんもその波に乗りたかったのだとか。

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